山猫エキセントリック

気の向くままに。(よく心の声が漏れます)

さようならブラック企業~新卒入社した会社を1年で辞めた話

スポンサーリンク

f:id:yamaneco555:20170730190434j:plain

私は、新卒でちょいブラック企業に就職してしまった。

(なぜ「ちょい」を付けるかというと、世の中にはもっっっと酷いブラック企業が溢れているからだ。)

そして私は、そこの会社を1年働いて辞めた。

 

根性がないと言われればそうだが、自分の中でこれほど正しい判断をしたことはないと思うくらい良い判断をしたと思う。

今回はそんなちょいブラック企業を辞めるまでの話をしていく。

 

 

こんにちはブラック企業

私が新卒入社した会社は、ざっくり言うと産業機器メーカーであった。

 

大学4年生の時、特にやりたいこともなく、メーカーはホワイトというイメージからメーカー中心に就職活動をしていた。(今思うとテキトーに就職活動をしていた)

そして、中小企業ではあるが念願のメーカーから内定をもらい、そこで働いていくことを決意した。

 

入社当時の私は、働くことに対してそんなに意欲はなかったが、メーカーという自社のものを売り出す立場には、それなりにワクワクした気持ちはあった。

「あれは私の働いている会社の製品が関わっているんだ」と家族や知人などに胸を張って言う所を想像しながら、私は新社会人となったのだ。

 

当時の新卒入社は26人いた。

会社規模が100人ちょっとの会社に対してだ。

入社前から懇親会が数回あり、同期とは顔を合わせていた。

その時の私は、「人数が多くてにぎやかだ」となんともボケたことを考えていた。

この規模の会社に対して、これだけの人数をとることに特に疑問を持たなかった。

 

しかし、働いていくうちに徐々にその理由について知っていくのである。

そして、ブラック企業に足を踏み入れたことを知り、絶望するのだ。

 

上層部が腐っている話をする社員

中小企業ではあったが、それなりの期間、新卒研修をおこなった。3ヶ月くらいは研修をしていたと思う。

 

最初の研修はビジネスマナーなど、おそらくどこの会社でもやるような研修だった。

 

その後は工場の研修をし、先輩に同行する現場研修、機器の基礎知識の研修…

こう上げていくとしっかり研修をしているように思えるが、実際は会社側が新入社員を受け入れる体制が整っておらず、機器の基礎知識の研修以外はテキトーに色んな部署に押し付けられた結果だった。

(それでも研修があるだけマシだし、冒頭でちょいブラックといった理由はこういったことがその他にもあるからだ)

 

研修期間中、会う社員会う社員「この会社はろくでもない」とぼやいていた。

 

辞めた人の話などをこと細かく話し、「たいしたもんだった」とか「見切りつけるのは早い方がいい」など…

何十歳も年上の社員から、1・2歳しか歳の変わらない社員…

年齢関係なく嫌というほど聞いた。

 

新卒の私達に対して、当たり前のように彼らは話す。

 

 

特に覚えているのが、上層部が腐っている話だった。

上層部(社長も含む)が社員に対してとんでもないパワハラ・セクハラをした話だった。

簡単に話すと、女性社員を怪しいバーにつれこみ、見せ物・笑いものにした話だった。

 

簡単に話しただけでも気持ち悪くて鳥肌がたつ。

当時からパワハラ・セクハラの問題はメディアなどで取り上げられており、社会はそういう話に既に敏感になっていた時だった。そんな世の中に、こんなしょうもない企業が存在したのだ。

 

 

こんな話を、会社に入ってまもない新入社員に話てくる社員達。

そして、締めの言葉には「早いところ転職を考えた方がいい」と言うのであった。

 

しかし、これから頑張ろうと思っている気持ちをいとも簡単にへし折られ、当時の私のモチベーションはだだ下がりであった。

そして「こんな会社さっさと辞めたい」と入社して1ヶ月くらいで思ったのである。

 

 

しかし、話をしてきた社員の人達は、決して悪い人達ではないのだ。

上層部が腐っていることに対して怒りを持っているし、「何かあったら相談しろ」とも言ってくれた。

温かい気持ちに救われることも何度もあった。

会社の闇の部分を話してくれたのは、社員の人達なりの優しさ・警告であったのだとう思う。 

 

ただ、会社の愚痴を永遠と話ながら働く姿は、全くカッコいいとは思えなかった。

 

あきらかに多い業務の辛さ・プレッシャー

研修でモチベーションが下がったとはいえ、3年間は続けようというモチベーションはまだあった。(今思えば3年続けたからなんだよとは思う)

そして、長い研修が終わり、その年の7月に本配属となった。

 

私が配属された部署は営業部で、営業事務として働くこととなった。

同期の半分以上が営業事務からのスタートであった。

残りはそれぞれの部署に配属され、いよいよ社会人として本スタートを切ったのであった。

 

本配属になり働きはじめ…

業務の多さやプレッシャーに辛くなった。

 

まず、あきらかに多い業務量が私を待ち構えていた。

その上、指導者が2年目の1歳しか歳の変わらない社員であった。

まだ仕事についていくのにやっとの社員だ。そんな社員に会社は指導係を押し付けていた。

当然、お互い分からないことだらけで、業務が全くスムーズに進まなかった。

スムーズに進まない上に、処理しなければいけない業務は溜まっていく。

 

おまけに、製品が特殊なものを扱っていたため、一つ一つの見積作成には時間がかかった。

作成に時間がかかる上、金額ミスがないかのチェックなど、かなり神経をつかう製品であった。そんな製品であるから、受注した後の処理もそれはそれは神経を使い、大変なものであった。

見積提出しても、受注になって欲しくないとまで思った。

1年目の私にとっては、大きなプレッシャーだったのだ。

(ちなみに、指導してくれた先輩のことは本当に尊敬をしている。よくあの状況で沢山いろんなことを指導してもらったと思う。一番大変だったのはあの先輩であったと思うし、感謝をしている。)

 

 

定時は8:00-17:00だったが、17:00に帰れたことはほぼなかった。

早くて19時に上がれればラッキーであったが、20時まで働くのが普通だった。

それでも残業代は出るし、全然マシだと思い頑張って働いた。

 

 

しかし、本配属されて3ヶ月くらい経ったあたりで、だんだんと体調が悪くなってきた。

毎日お腹が痛くなり、電車に乗る前に呼吸が乱れ、あきらかに体が会社を拒否した。

それでも電車に乗り、会社にむかった。

 

その時期、丁度業務の量も多く、毎日22時まで働いていた。

毎日8時前に出社し、22時まで働き、家に戻った時には23時前だ。

ごはんを食べて早くお風呂に入って寝る。ただそれを繰り返す毎日。

自分が分からなくなった。

 

そして私の目は死んでいた。

死んだ目をしながら働いていた。

 

 

誇りを持たず、次々とやめていく社員

私が死んだ目になる前から、多くの社員の人が辞めていった。毎月誰かしら辞めていた。

 

メーカーに憧れ就職したものの、製品のクレームは多かった。

これはメーカーで働く限り仕方ないことであるのは分っていたが、製品自体の質を疑う部分があったり、くだらないことでクレームになることが多かった。

 

例えば、機器に大きな亀裂が入ったり、割れてしまうなどというクレームが多かった。

高い金額払って買った機器に、亀裂が入ったり割れたりなど…とんでもない出来事だと思う。

多少盛っている部分はあるが、そんなクレームが割と当たり前に入ってくるのだ。(その電話を受けるたびに胃が痛くなった。)

また、機器に大きな傷がついた状態で出荷されたり、検査がしっかりされているのかなど、疑うことばかりだった。

 

当然、そんな製品に社員は(特に営業は)誇りを持てなかった。

 

残業代は出るが給料は安かったし、ボーナスなんてほぼ無いに等しかった。

…それに、残業代が出るといったが、営業の人は営業手当という名のものがつくからという理由で、何故か残業代がでなかった。

 

業務過多で、営業の人やその他の部署の一部の人達は22時まで残るのが当然。中には月100時間以上残業する人もいた。

 

そして、製品に誇りを持てないから社員のモチベーションも低い。

 

 

そんな環境の職場だから、辞めていく社員は皆いきいきした顔をしていた。

会社に愛着など無く、製品にも誇りも無く、辛いこの状況から逃れられることが幸せで仕方なかったのだろう。

 

その一方で私は、辞めていく社員を目にしていくたびに、どんどん不安になった。

辞める人がいるたびに、業務はきつくなり、今話している社員の人もいつ辞めるか分からない…そんなことばかり考えた。

 

そして、会社に良い未来を感じれなくなった。

会社でこうしていきたい。ああしたい。そんなことは考えられなかった。

 

 

今はどうにか業務が回っているが、たくさんの人が辞めていき、今後もそれは止めらない。

だけど、業務は辛くなっていく一方…そんな不安点ばかりに目がいった。

 

パワハラ・セクハラ・暴力をする上司はドラマだけの話ではなかった

働いている中で一番辛かったことは、何より糞上司の存在であった。

私の上司は、パワハラ・セクハラ・暴力をするとんでもない上司だった。

それも本人にその自覚は無く、コミュニケーションの一部だと思い込んでいた。

 

運の悪いことに、私はその上司の隣の席だった。

最初は気さくに話かけてくれて、悪い印象ではなかった。

しかし、日が経つにつれて、その気持ち悪さや異常さに気づいていく。

 

セクハラ面でいくと、女性社員の肩もみをするや定規で太ももや背中を軽く叩く…おまけに常に胸に視線をおくる…。

 

気持ち悪すぎて吐き気がする。

 

しかし、もっと酷いのが加減のできない暴力…パワハラだ。

 

新入社員の私は、製品に関して知らないことばかりだった。

そこで、あることでその上司に質問をした結果、突然頭を思いっきり叩かれた。

 

軽くポンッなんて可愛いものではない。(それはそれで気持ち悪いが)

バシンッ!と表現できるような叩き方で、半泣きになるぐらいの強さで叩かれたのだ。

 

「お前そんなことも知らねぇのか」

 

叩かれた後にそう言われた。

 

たしかに、私に知識があればいい話だ。

しかし、当時、入ってきてまだ半年も経たない頃だった。まだ製品の名前すら全部覚えられていない。私の聞く態度が悪かったわけでもなかったと思う。

 

恐ろしいことに、これが、上司のコミニュケーションの取り方だったのだ。

 

 

叩かれたのは、当然この一回だけの出来事ではなかった。

その他にも、その上司の言っている意味が理解できなかったりすると頭を叩かれた。

(優しいベテランの社員の人に、一語一句上司の言葉を伝え相談した所、内容を理解してもらえなかったので、新入社員の私が理解することなんて当然できない内容だったと思う)

上司のノリに合わせて会話をしても頭を叩かれた。(本人はツッコミのつもりだったのだろう)

 

私が上司に話かけるたびに、頭を叩かれるんじゃないかって不安になるくらい、頭を叩かれた。

 

私の頭の細胞は上司により何億個死滅しただろう…。

 

こんな上司、ドラマだけの話だと思っていた。

 

 

しかし、私も私でアホであった。

こんな仕打ちをされているのに、「上司なりのコミニュケーションなんだ」と自分に言い聞かせて我慢した。

 

何故こんな考えになったかというと、新人研修のときに「物事は自責で考えましょう。」という社畜精神を真に受けてしまったからだ。

自責で考えるのだって度合いがある。

 

そんなんだから、なんでもかんでも自責で考えて、自然と心の負担が大きくなっていった。

 

 

面と向かって「死ね」と言われた日

入社して10ヶ月経つ頃…私の心は荒んで、目は死んでいた。

それでも周りの支えてくれる社員の人のために頑張って働いた。

 

その頃には、もっと体調は悪くなっていた。

 

朝起きて思うことは「死にたい」であった。

そう思いながら重たい体を起こし、会社に向かう。

会社に向かいながら、何度も「死にたい」と思う。

 

特に電車に乗る前は、「逃げたい逃げたい逃げたい」と心の中で叫び、前よりも呼吸の乱れが酷くなった。

それでも電車がきたら乗って会社に向かう。

 

何故私は逃げなかったのだろう。

今でもあの精神状態で何故会社に向かったか理解ができない。

 

 

そんな私に追い打ちをかける出来事が起きる。

 

いつものように残業をしている時だった。さっさと残業を終わらせようと資料作成をしていた。

 

20時はすぎていたと思う。その日は既に帰っている人が多く、営業部は私の席の周りの人達くらいしか残っていなかった。隣の席には糞上司がいた。

 

資料作成し、先輩社員にチェックしてもらっている所、先輩は資料を見てすぐにケアレスミスを発見した。

そのミスも、思わず周りが笑ってしまうようなミスだった。

少し笑いが起きて、先輩に「しっかりしてくれよ~」と言われた矢先だった。

 

 

その上司が私に目を合わせ。

 

「死ねよ」

 

と言ったのだ。

よく、小・中学生などが笑ったノリで言う奴ではない。(大人でそんなノリで言うやつもどうかと思うが)

 

 

冷たく「死ねよ」と、言い放った。

 

 

周りの空気は凍り付いていたと思う。

 

私はその時「ははは…」と笑って誤魔化した。

そしていつものように自責で考えた。

 

私がミスをしたのが悪い。どんなミスだってしないようにしないと…。

そんな事を考えながら、その日は家に帰った。

しかし、家について自分の部屋に入った瞬間。

 

 

私は泣いていた。

どうしたって涙が止まらなかった。

 

 

上司は頭を叩く以外にも、私の人間性をよく否定した。

 

「人間のクズだよね」

「人として終わっているよね」

「ダメ人間だもんね」

「ゴミだよね。このゴミ人間。」

 

思い出せるだけでこんなもんだ。

この言葉を言われても、私は上司なりのコミュニケーションだと我慢していた。

 

 

しかし、流石に「死ね」は耐えられなかった。

 

 

皮肉なことに、その言葉により、今まで溜まっていたものが爆発して、自分の異常事態にやっと気づいた。

 

ついに上司の上司に相談を決意…が…

自分の異常事態に気づいた時、丁度その糞上司の上司(糞上司の上司は、営業部の長であるため、以降「長」と呼んでいく。)と面談する機会があった。

私は「これは相談するチャンス」と思い、糞上司のことを話すことを決意した。

 

いざ面談となり、メインの話を終えた後…糞上司の話を切り出した。

 

すると、「辛い思いをさせて悪かった。何かしらの対策をとるようにする。」と、私にとって救われる反応が返ってきた。

その他にも「長く働いて欲しいから」と気を遣う言葉をかけてくれた。

これで、少しは環境が良くなると思った。

 

その頃、だいたい2月頃だったため、新年度には体制が変わって上司とも今ほど関わりのあるポジションにはならないと思っていた。

 

というのも、部署移動といった社内体制の変更が多い会社だったので、私のポジションを変えることも、そんなに難しい話では無いと思ったからだ。

特に営業部内の体制は、人が辞めるたびに何度も変わったし、新人でも関係なくコロコロと変わった。(何故か私は変わらなかったが…)

 

何かしら調整してもらえるはずだと、色々な期待が私の頭の中をぐるぐると駆け巡った。

 

 

そして3月になり、新体制の発表が行われた。

期待と不安が入り混じりながら、発表を目にした。

 

 

私は、糞上司と同じチームだった。

 

それだけではない。驚いたことに、私は糞上司のメインアシスタントというポジションになっていた。

 

 

長の意図が分からなかった。

面談以降、糞上司の態度が変わったわけでもない。

席もおそらくこのまま隣の席なのだろう。

 

営業部の長なのだから、体制を変える権限だって持っていたはず。いや、持っていた。

 

しかし、あの時、緊張しながら打ち明けた話は、何も届いていなかったのだ。

それどころか、糞上司とダイレクトに関わるポジションにとなり、私は絶望的な気持ちになった。

 

 

そして、その体制が本格化するのは、新年度に入って5月からだったので、何が何でも5月までに会社を辞めることを決意した。

 

入社1年目なのに…などと言った迷いはなかった。

こんな糞会社さっさと辞める。

だだ、それだけの気持ちだった。

 

 

「なんの役にも立たなかった」という言葉に笑顔

会社を辞める決意をしてから、私はさっそく転職活動を行った。

働きながら転職活動は中々辛いものがあった。

しかし、何が何でも会社を辞めてやるという気持ちが強く、その気持ちだけでどうにか頑張ることができた。

 

3月上旬頃から転職をはじめて、4月の初旬…1社内定をもらうことができた。

 

正直、そこに転職を決めるかものすごく悩んだが、今の現状より悪くなることは無いだろうと、面接などを通して感じたので、転職を決意した。

 

(ちなみに転職活動については↓この記事で語っている。良ければ見て欲しい。)

yamaneco555.hatenablog.com

 

さて、転職の決意が固まったら後は会社側に伝えることだ。

同期や指導係の先輩には先に伝えた。中には泣いてくれる人もいて、仲間を裏切るようなちょっと複雑な気持ちになった。

 

そして糞上司にも伝えなければならない。

 

どんな罵倒の言葉をもらうだろうか…と胃が痛くなったが、

勇気を出して糞上司に時間をとってもらい、二人で話をさせてもらった。

 

私の頭の中では、「ゴミなのによく転職できたな」とか「欠陥人間を雇ってくれる会社がうち以外にもあるんだな」とか…そんな言葉を言われると思っていた。

 

しかし上司の反応は意外なものだった。

 

「よかったな。次の会社でも頑張れよ。」

 

あんなに糞だと思っていた上司が、その一瞬は悪い人にはみえなかった。

 

ほんとに私が嫌いだった上司だったのだろうかと疑った。

その後も嫌味や罵倒など一切なく、ただ自分のこれからを応援する言葉をくれた。

 

 

きっと、もう会社に残らない人間に、ねちねち何かをするほど腐っている人間ではなかったのだろう。

それに今まで数々の人が辞めていった職場だ。人が辞めいくことに慣れていると感じた。

 

 

さてさて、糞上司に伝えたということは、残りは長に報告するだけだった。

 

私は生まれて初めて退職願を書いた。

何度も失敗し、紙を無駄にした。

これから辞める会社に、もう礼儀なんてなくてもいいだろう。そう思ったが、きっちり終わらせたい気持ちが強かったため、納得いくまで退職願を書いた。

 

 

そして退職願を書き終えた翌日、私はいつもより1時間早く会社に行った。

長はいつも朝早くからいると知っていたから、早く行けば人目を気にせず退職願を渡せると考えたからだ。

 

案の定、長はそこにいた。

私は緊張しながらも、自分の荷物をデスクに置き、人がやってくる前にと思い、退職願いを持って長のもとへ一直線に向かった。

 

長のデスクの前に立つと、

「長、お話があります。」といい、退職願いを渡した。

そして、転職先も決まっていることなど全て伝えた。

 

何を言われるだろうとドキドキしていると、

今後の辞めるまでの手続きの流れなど、淡々と話をされた。

長も糞上司と同じように、こういこうことに慣れているのか、動揺はしていなかった。

 

ある程度の話を終えると、長は私に「辞めるのには、この前話してくれた上司のこともあるんだろうね…。1年間、何の役にも立たなかったけど、まぁ次の会社でも頑張ってよ。」

そう言った。

 

「何の役にも立たなかった」という言葉はたしかにその通りだろう。

1年目の私は、会社にとってお荷物であったのは明らかだ。

 

しかし、そのお荷物に頼っていたのも会社だし、5月には糞上司のメインアシスタントにしようとしていたのも会社だ。

 

長としては嫌味の一つを言ってくれたのだろうけど、

私の訴えが長に届かなかったように、長の言葉は嫌味だろうがなんだろうが私には届かなかった。

 

私は辞めることが決定したことで、気持ちが解放され、笑顔で「ありがとうございました」というと自分のデスクへ戻って引き継ぎ資料の作成をはじめた。

 

さようならブラック企業

こうして、僅か1年ではあるが、ちょいブラック企業とさよならをした。

今思えば、辞めることに対しては手続きなど淡々としてくれたし、有休も全部消化させてくれた。そこに関してはブラックではなかったと思う。

 

私がここで働いて思ったことは、これ以上のブラック企業は世の中にゴロゴロあるということだ。

ネットなどで調べると、想像を絶するような環境で働いている人が沢山いる。

私のこの話を最後まで読んで「全然ブラックじゃないじゃん」と思う人が沢山いる。

それがとても恐ろしい。

 

逆に、この話を読んで「自分の会社はまだマシか」と思う人もいるかもしれない。

 

 

しかし、大事なことは、自分にとってブラック企業だと思うかどうかだ。

私の場合、過去・現状・未来…全てが自分にとって受けつけられない会社だった。

だから、ブラック企業だと思い転職した。

そして、転職したことを心の底から「よかった」と言える。

 

 

今、会社で働くことに悩んでいる人がいたら、決して世の中はその世界だけではないことを知ってほしい。

案外転職だって簡単にできるし、ちょっと無職になったって、心を会社に潰されてしまうより遥かにいい。

 

もちろん自分の人生だ。悩むことは大切だ。

 

ただ、私としては見切りをつけるなら早いうちがいいと思う。

人間には相性というものもあるし、新卒で入った会社が合わない場合だって当然ある。

それに、若いうちだからこそ色々なことに挑戦することを許される。

デメリットが沢山あるのも分かるが、メリットだってある。

 

それに、悩んで悩んで悩んで自分で決めた結果だったら、

例え周りとちょっと違うレールを走ることになっても、大きな間違いになることはないのだから。

 

 

ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村


【前記事】

yamaneco555.hatenablog.com